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 純愛ist(更新停止)

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同棲半生ひとり夜話

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コメント

1. 拍手返信

>みほか 様

 ありがとうございます!慣れない文字書いてよかった…!
 ヤマもオチもないけれど、意味は少しだけある話に弱くてですね。ただ海動と真上の同居生活を淡々と書きたかっただけなのに、どんどん取り留めのない話になっていって。話の芯がまったく定まってませんが「なんでもない毎日」とはそういうもの、なのかなあ、ってことでご勘弁です。
 同じ空間を共有する「特別」、って良いですね。二人にとっては自分達が同じ部屋にいることは当たり前になってるけど、それは実はとても特別で奇跡的なことなんだとたまに思い出すから真上は泣くんでしょう。毎日ふつうで、毎日とくべつ。
 同居し始めの頃は一緒に夕飯作ったりお風呂沸かしたり掃除したり、とにかくなにもかも初めてで新鮮で、毎日新しい幸せを手に入れていくけど、次第にそのどれもが当たり前になっていって最後には一つのの大きな「いつもどおりの幸せ」になっていく、なんて過程を思うだけで、あ、甘い。こいつら新婚っ。
 これ、絶対公式の絵じゃ想像できないんですよね。みほかさんがよくお話されてる「公式で真上が飲み食いする場面がない」ってのは、まったく強烈で。そのうち公式が色々やってくれて、真上がゴミ出ししたり、風呂掃除したりする姿を公式絵で脳内再生できるようになりた…いや、それはそれで重大なイメージ崩壊なので、二次創作の特権ってことにしておきます。
 海動verも書く予定だったのですが、真上ほどベラベラしゃべってくれなくて諦めました。やはりモノローグは真上に限りますね。
 コメントありがとうございましたー!

2. 追記

 拍手返信書きながら思い出したんだけど、ネタ帳に書き留めてあったOG刃馬のカップリングイメージが、これ完全に今回の同居地獄だ。
 「二人暮らしを始めた時に青と赤のお揃いのマグカップを買って、毎朝二人分のコーヒーを煎れて微笑ましく向かい合って飲んでた頃から早数年、一人で留守番してるとき自分のマグカップに適当に麦茶入れて置いておいたらすっかりぬるくなって、あーまず…って思いながらちびちび飲んでる今日」「恋人同士のいちゃいちゃ感が日常と生活に塗り潰される時間経過と、そんないちゃいちゃに飽きたといっても普段使いで延々と記念のカップを使い続ける居着いた信頼関係がそこにはある」。
 やっぱジャンル変えても求めるものは変わらないなあ、と思った一コマ。

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同棲半生ひとり夜話




 この9畳風呂付の部屋に居着くようになってからそろそろ1年。男二人では少々手狭と言われるが、あいつと距離が近くなって俺は好き。あいつも何も言わないのだから気に入ってるんだろう。中層ビルで地上4階。中途半端な高さにしたのにこれといった理由はないのだが、勢いでうっかり身投げしてもほぼほぼ死なないレベルなのは最近気付いた利点だ。

 部屋に人をあげると(腹立つことに)驚愕される。片付いている、と口々に言われる。由木なんて最初から掃除する気であがりこんできた。一つ、俺達は留守がちな軍事関係者で、二つ、よって身元が割れるものを持ちたがらず、三つ、それほど多くのものを必要とする趣味も持たない。頭が少し足りていれば容易に察することができる状況のはずだが、俺の周りは馬鹿ばかりだ。あと、女で飯食ってる独り身ジゴロの部屋だとも言われたのでしこたまひっぱたいておいた。

 もう一つ、例外なく驚かれることは食生活だ。周りは俺達が出来合いのものしか食っていないと思っているらしい。結論から言えば、食事は海動が用意している。海動は一般的な言葉を使うなら「家庭的な」男だ。家事全般を器用にこなすし、身の回りの面倒を見ることに抵抗がない。流石、およそ生活においての必要最低限をすべて一人で行ってきた男。それを考慮すれば、非家庭的な人間の方が一般的に言われる家庭的な人間に近い、というのはちょっと笑える。

 海動は、食事に強いこだわりを持つ。単純に食べることが大好き、というだけの腕白な話ではなく(もちろん食べること自体も好きなんだろうが)、調理したり、買い出ししたり、そういう食事という行為に付随する大抵に、なみなみならぬ思い入れがあるようだ(思い入れがあるからといって、それはあいつの食への理解が正しいという訳ではない。特に食事作法に関しては日本人とは思えない体たらくである。ベッドで飯を食うな、飯を)。新しい飯屋ができるとすぐに行きたがるのも、見慣れない食材を見かけると手を伸ばすのも、ナントカとかいう料理本を持ってくるのも、買いもしない電気屋の家電を眺めるのも、全部あいつだ。
 あいつの食事への興味が、一種残酷な思想と経歴に助長されていることを察してはいる。一度何気なく理由を問いかけてみたことがあり、その時のあいつは何回か口元をまごつかせ、少々形が歪な右脇腹を密かに庇った。恐らく本人も自らの真意は分かっていないはずだ(うっかり傷つけてしまったと思った俺は、慌てて「好きだ」と口走った。我ながら意味が分からない)。

 海動が食事なら、俺は掃除にこだわりがある。海動もまあまあ掃除好きだが、決して俺のスペースに手は出さない。出させない、が正しい。なぜか。それは、俺が(生い立ち故に)整然と並べられたものに嫌悪感を覚える性質を持っており、意図的に乱して片付ける癖があるからだ(そう、俺にとっては乱すことこそが整頓なのだ)。
 機能美とは決してシンメトリカルかつシステマチックであることを意味しない。例えば、俺は2挺の銃をさげている訳だが、シンメトリカルなものこそ機能的で美しいのであるなら、俺は両脇だとか両足だとかとにかく対称的にホルスターをさげる。しかし、それをせず右足と腰にさげるのは、その方が使いやすいからだ機能的だからだならば規則正しく並べることイコール機能美という図式は必ずしも成立しないむしろそれは単にヴィジュアルの美しさを求めた形骸化した機能美であり逆により有機的生物的な配置こそが生物である人間には都合が良いつまり俺があえて物を崩して並べるのは機能的な整理整頓であり決して散らかしている訳ではない、ということを部屋を訪れた大抵の者には解説している。
 ………。分かっている。海動の食事へのこだわりが決して正しくはないように、俺の掃除へのこだわりも決して正しいとは言えない。歪んでいる。が、俺達はあくまでも必死だ。それが生活というものなのだ。多分そうだ。

 そういえば。人は特定の空間に一定の期間、生活を続けると、その空間に「人となり」が発現するそうだ。俺はこれまで私的空間というものを与えられたことがなかったので、そんなまさかと思ったものだがそのまさかだ。俺は暗い色が好き。煤けた色は趣味が悪い。できるだけ日光は遮る。白熱灯はなんとなく腹が立つ。まるっこい形状の家具は女々しいから嫌いだ。でも毛製品は嫌いじゃない。整列したものが嫌いなくせにパターン柄は許せる。使いやすいものをそれぞれ買って使うより、二人で使えるものを選ぶべきだ。
 俺の知らない俺の俺たる所以が俺の空間に俺の意図せず俺の体の外に滲むのだ。まったくおかしいし、面白いと思う。

 滲む、というと、今俺の足先のカーペットには赤紫色の染みがある。
 いつか、海動の爪を塗ったことがあった。女の忘れ物で(わざと忘れたのかもな)、派手な色のマニキュアが落ちていたから。唐突に手首を引っ捕らえて悪戯をし出すと、あいつは迷惑顔せずむしろ惚けるように自分の爪の行く末を見守った。この男のこういう表情は、なかなか俺以外に知られるところではない。
 人差し指、中指、薬指まで終わった時点で、俺はなんだかこの「塗る」という行為にすっかり欲情してしまっていて、できることならこの指先から小骨を抜きだしてそれにも色を付けたい、などという考えにまで至ってしまったぐらいだ。そんな蕩けた俺の頭をあいつはぴしゃりとはたくと「こら。」とだけ、弾むような口調で言った。そうすると、じんわりと俺の体にも感覚のようなものが戻ってきて、三本だけ爪を塗られた男の手が、俺の手の中にあることに意識が引っ張られた。なんでこの手が俺に触れているのかが不思議で不確かで、気が付けば塗料の小瓶を放り投げて、その指に口づけて泣いていた。

 俺とあいつの関係について考える。生い立ちは随分と違うが、なぜだろうか、少しだけ近しい生き方をしてきたような気がする。そのせいか、俺達は双子に間違えられることが思いの外多い。(外見)年齢も背格好もほとんど変わらず、他人を容易に寄せない雰囲気とかそういうもの、顔立ちもどことなく似ているらしい。しかし、ただ「近い」だけだ。
 かつて海動より俺にもっと近い人間がいた。その男達は限りなく、限りなく俺に近しいが、「近い」だけだと悟ったのは最近の話だ。ヒトとヒトとの間には、決して踏破できないラインがある。それが幸せなのか不幸せなのかは、俺にはまだよく分からない。
 自分によく似た男達が、頭の中の海に泡のように浮かんでは弾ける。ふと、こういう風に考える。もし、俺が精巧にあいつ(俺が殺したあいつな)を模しているのだとしたら、あいつもこんな苛烈な恋をしたのだろうか。だとしたら少し悪いことをしたな。ん。いや待て。別に俺は悪くない。

 いつしか俺達は、そうアカの他人の俺達は、二人一緒にいるのが正常で、いないのが異常なまでに至った。俺達を引き離したら死ぬんじゃないかと嘯く輩もいるが、当然だが死にはしない。仕事でだって二人長く離れることもある。感傷と生命維持は別問題だ。
 でも、もし、いつか。いつかの話。あいつとの永遠の別れがきた時の話。いつかと考えるだけで、頭が潰れそうになる心地がする。カナシイ、ツライ、クルシイ、イタイ、コワイ(ヒトの言葉では多分そういう風に言うんだろ?)。そういう情動が、きっと俺を死ぬまで苛むのだろうな。
 しかし、きっとあいつと出会う前の俺に戻ることはないんだろう。あの空しさに帰ることは、誓って二度とないんだろう。あいつはもう俺の一部で、ずっと俺のもので、俺の中でいつも微笑んでいて、俺をひとりにさせない。天使のように綺麗な男。永く、久しく。
 きっと永久に俺達は、寄り添いあって生きていく。

 階段を独特のリズムで上がってくる音が聞こえる。1分後の光景が容易に想像できる。きっとビニール袋には見慣れない外国の調味料が入っていて、俺はそれを不揃いにキッチンに収めて、たまには手伝えと手を引かれて、狭いキッチンで肩を並べて夕食を拵える。俺の鼻先を掠めるあいつの髪には少し雨の匂いが混じってて、「寒かった?」って俺は聞くんだ。
 なんだか、詩でも書きたい気分だ。やったことはないが俺って大抵のことはできるしなあ。そうだな。書いてみよう。

拍手

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1. 拍手返信

>みほか 様

 ありがとうございます!慣れない文字書いてよかった…!
 ヤマもオチもないけれど、意味は少しだけある話に弱くてですね。ただ海動と真上の同居生活を淡々と書きたかっただけなのに、どんどん取り留めのない話になっていって。話の芯がまったく定まってませんが「なんでもない毎日」とはそういうもの、なのかなあ、ってことでご勘弁です。
 同じ空間を共有する「特別」、って良いですね。二人にとっては自分達が同じ部屋にいることは当たり前になってるけど、それは実はとても特別で奇跡的なことなんだとたまに思い出すから真上は泣くんでしょう。毎日ふつうで、毎日とくべつ。
 同居し始めの頃は一緒に夕飯作ったりお風呂沸かしたり掃除したり、とにかくなにもかも初めてで新鮮で、毎日新しい幸せを手に入れていくけど、次第にそのどれもが当たり前になっていって最後には一つのの大きな「いつもどおりの幸せ」になっていく、なんて過程を思うだけで、あ、甘い。こいつら新婚っ。
 これ、絶対公式の絵じゃ想像できないんですよね。みほかさんがよくお話されてる「公式で真上が飲み食いする場面がない」ってのは、まったく強烈で。そのうち公式が色々やってくれて、真上がゴミ出ししたり、風呂掃除したりする姿を公式絵で脳内再生できるようになりた…いや、それはそれで重大なイメージ崩壊なので、二次創作の特権ってことにしておきます。
 海動verも書く予定だったのですが、真上ほどベラベラしゃべってくれなくて諦めました。やはりモノローグは真上に限りますね。
 コメントありがとうございましたー!

2. 追記

 拍手返信書きながら思い出したんだけど、ネタ帳に書き留めてあったOG刃馬のカップリングイメージが、これ完全に今回の同居地獄だ。
 「二人暮らしを始めた時に青と赤のお揃いのマグカップを買って、毎朝二人分のコーヒーを煎れて微笑ましく向かい合って飲んでた頃から早数年、一人で留守番してるとき自分のマグカップに適当に麦茶入れて置いておいたらすっかりぬるくなって、あーまず…って思いながらちびちび飲んでる今日」「恋人同士のいちゃいちゃ感が日常と生活に塗り潰される時間経過と、そんないちゃいちゃに飽きたといっても普段使いで延々と記念のカップを使い続ける居着いた信頼関係がそこにはある」。
 やっぱジャンル変えても求めるものは変わらないなあ、と思った一コマ。