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 純愛ist(更新停止)

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 真上と真白さんについては、実は今年の春くらいに私の中で決着がついた、というかなにかしらの結論としての文章を書いてましたんで、今日はそれです。
 春の原稿であれあれしてて夏になっちゃった。



 真白(ましろ)さん。真上の回想シーンで一言だけしゃべっていきなり死ぬ真上のオリジナル?さん。白い服を着ているので「白さん」「白衣さん」などの愛称で親しまれてるのはご存じのことと。より人名っぽくするためと私なりの愛情を込めて、真上+白=真白さんなどど私は呼んでます。

 一応、真白さんがMKエルプズュンデを作った人として書いてくけど、個人的な意見としては、真白はあくまで元になった人間であり、エルプズュンデを作った人ではないという可能性は否定できないよなーと思う。まあ、理屈としては、真白さん唯一のセリフ「避けられない運命…お前はそのために生まれた」なんですが、作った人間なら「そのためにお前を作った」とかに近いニュアンスの言い方をするんじゃないかなあ?という曖昧な判断です(しかし、人造人間なのに「作られた」という言い方をせず「生まれた」という人間の出生と同じ言葉を使うのに真白さんの優しさがほのかに読み取れて実にいいセリフですね。これ一言しかセリフないけど)
 でも、そうするとじゃあ作ったのは誰なのよ?とかいう問題が出てくるんで、真上の周囲の環境を真上と兄弟と真白さんのみに絞るために、ここは短絡的に作った人=真白さんで話を進めます。まあ、ここでは作った人が真白さんかどうかは大した問題じゃない。真上にとって、真白は製作者というよりは自分の元になった人間ということ、真白だけが真上が知るエルプズュンデではない唯一の人間であり、自分とまったく同一構造でありながらも「人間」と「人造人間」という見えない格差を感じていたことが重要な訳です。

 真白と真上の関係については、私はよく神と天使になぞらえます。
 神である真白は、定めの元に天使を造り、天使に完璧な肉体と精神と技術を与え、人間の世界から離れて天使達と静かに暮らす。天使達は生病老死を知らず、ただ神の命令を遂行し、心穏やかに安寧と暮らす(真上が真白の所にいた頃の環境については「何不自由なかった」に一票。抑圧された厳しい環境を強いられる方が逆に強い反抗心を呼び起こし、自我を形成する誘発剤になるから。なんのストレスもなく単調で隔離された生活の方が自分を失いやすい。ここらへんは『シルバー事件』のシェルター・キッズの影響)
 エルプズュンデ達に何の感情も与えないように徹底管理された閉鎖空間には、マイナスなものすべてが存在しない。真白は真上に、悲しみも痛みも苦しみも死も教えない。その裏返しとして、喜びも癒やしも楽しさも生きる実感も覚えない。幸福がなれければ不幸もない。求めもしなければ奪われもしない。感情は凍結し、与えられた命令の他にはなにも考えず感じず、水が上から下に流れるように淡々と生きる。自分の生まれた(作られた)意味と課せられた役目を正確に具体的に把握し、自分が何者であるかとか自分はなんのために生きるのかに抽象的に苦心する人間とは真逆の存在になる(それはそれで幸福な生き方であるかもしれない)
 何の疑問も不満もなく天使として生きるけども、なんのきっかけかは知らないが「自分は果たして何者であるのか」というアイデンティティの問題にぶち当たり、結果神を裏切ったのが真上。そして地上(真白の世界の外)に堕ち、人間に紛れる堕天使になった。そんなことから彼のルシファーというコードネームはよく考えられた名前だなあ、なんて思っております。

 真上にとって真白はすべてを与えるものにしてすべてを奪うもの。真上のすべての悩みと苦しみを取り去る存在だけど、真上を「神の一部」として一定の限界に束縛し続ける。それに甘んじていれば真上は他の兄弟と同じように苦悩なく過ごせただろうけど、いつしか「神の一部」ではなく個人として自分を認識するようになってしまった。しかし、その自己認識は目の前にいる「神」の存在と矛盾する。その結果の悲劇が起こった。
 この時、真上が真白を神ではなく、ある意味で自分と全く関係のない他人であることを理解できればこんな結果にはならなかっただろうが、真上がそれを理解するまで感情を成熟させるには、やはり真白を殺して人間の世界に行かなければならなかったので、結局この親殺しは真上が自我を手に入れるためには起こらなければならなかった要因であると思う。

 真白が真上をどう思っていたかを想像するのにはあまりにも判断材料は少ないので、ここらへんは各人の妄想がものを言う部分だけど、前々から話してたように、私としては真白は十分に満足して真上に討たれたと思ってる。
 本来唯一の自我ある人間であるはずの真白は、増殖する自分というアイデンティティの危機的状況に押し潰され、コピーである真上達に逆に自己同一性を奪われてしまったと想定してる(特殊な生まれ方をした真上達ならともかく、人間である真白が周囲すべてが自分と同一構造の人間という異常事態に精神が侵されずにいるのは難しいのではないか。人間1に対して人造人間100以上なのだから真白の方が呑み込まれる)。自分の完全なコピーを作ってしまった時点で、オリジナルとコピーの間に差異は一切なくなり、真白と真上すべては等しく個性を奪われ「真上遼という集合体」になる(ちなみにですが、うちでは真上遼という名前は真白さんの本名)
 その「真上遼という集合体」の中から、明確な自我を持ち始めた個体の誕生というのは、自我を奪われた者である真白にとってなにかしらの希望になったのではないか。そして、自我を持てば彼を束縛する自分という存在を消そうとすることは承知していたし、自分が消えることで自分の一部であった真上を「個体」にしてやれることも分かっていた。なので、真白は真上の凶弾を受け入れ、人間である自分ですら果たせなかった自己証明を真上に託して逝った(同時にこれは彼のアイデンティティの消失という生き地獄からの解放でもあり、真上は無自覚だが真白を楽にしてやれた)
 人間でありながら自己を守れず似姿の奴隷となったオリジナル、本来目覚めるはずのない状況で自己を芽生えさせたコピー。そんな皮肉な関係が真白と真上にはよく似合う。

 「『お前』が証明するんだ」「生き続けろ。生き残り続けてそれを証明するんだ」「生きている限り、お前は答えに近づく」という一連のセリフ。果たしてこれは誰の言葉なのか。
 結局私は、すべての真上遼の総意である、が結論だと思う。真白が真上にあてた遺言であり(『お前』が証明するんだ、と言ってるあたり真白さんが真上へなにかを託してるのがなんとなく伺える)、死んでいったであろう他MK達の密かな期待であり(本来「個」として想定されていない種族から一人でも自己を獲得できた者が生まれれば、それはMKという種族が自由意思ある生命であることの証明にもなる。真上の勝利は彼ら全員の希望。もしくは、真白と同じように、自分たちが成し得られなかったことを真上に託してる形かもしれない。ちなみにシンについては、私はあいつは最後の最後に自由意思を手に入れたと思ってる)、そしてもちろん真上自身の意志である(真上が頑なに自己証明にこだわる理由に、自分の親兄弟から託された切実な想いがちょっとでも絡んでたら、私は、私はすごく嬉しい…)

 これは前々から思っていたことだけど、真上の精神の救済には最終的に「エルプズュンデの肯定」が到達地としてある、と思っています。
 彼がエルプズュンデに生まれたことは覆しようのない事実であり、彼が自分を“人間”だとすることは、それは自分を偽ることに他ならない。真上が「俺は俺だ」と言った場合、その“俺”とはエルプズュンデ・真上遼であり決して人間・真上遼にはならない。それを受け入れられた時、人造人間であることも含めて自分のアイデンティティだと肯定できた時、真上の精神は真に自由に救われる(私が、真上に自分と人間は別種であることを意識した感じの台詞を言わせたがるのはそのせい)

 真上は真白さんを殺めた。それは彼を憎んでいたからではなく、自分の似姿を消すことによって自分という個を守ろうとした故の行動だったということは想像に難くない。
 そうして真上は堕天使になった訳だけど、真白の元を離れて彼はたくさんのものを手に入れた。例えば自由な闘争だとか、外の世界の景色とか、自分の体で実感する痛みや苦しさとか、恐ろしくたくさんの自分と姿の違う人間とか。
 しかし、それだけでは決して自己証明の確立には至らないだろう、というのが私の了見です。

 というのは、真白を殺したのは「否定による証明」だからです。
 自分は定めの元に作られたこと、自分には名前も過去もないこと、自分の似姿である生みの親と数多くの同胞。それらを否定して捨てようとしたからこその親殺しと家出。結果的にそれは真上を大きく変え、彼にとっての転機になったんだけど、その捉え方は決して正しかった訳じゃない。
 自分の運命(それに従うかは別として)や親兄弟を否定して殺してもその存在を無かったことにはできないし、むしろ見方を変えれば、それら(それらとの葛藤)が無かったら今の真上は生まれなかった。つまり、それらすべてが今の真上を作り上げたルーツ、構成要素、かけがえのないアイデンティティである訳で。彼が忌み嫌ってる運命こそが間違いなく今の彼を作り上げている。だから、彼に必要なのは「肯定による証明」なのです。

 こんなことを言うと真上に「だまれえええええ!!!」って言われちゃうかもしれなけど、私の考える真上の到達地点は「『運命』が好きな言葉になる」だったりします。
 今の真上は『運命』を単に自分の前に勝手に敷かれたレールくらいにしか思ってないだろうけど、そのうち運命ってのはもっと包括的で、自分の意志と世界との交点として作用してくるものだと分かってくると思う(「運命に従うのも運命なら、それに逆らうのも運命」なんて竜馬は言ってるけど、まあ良いことを言う。前者がシンで後者が遼に聞こえてくる)。望む望まないに関わらず世界から与えられた環境、その環境の中で自らの意志でもって選び取った行動、その行動の結果めぐり会った偶然、それらの堆積としての運命という大地に自分が今しっかり足を付けてることをきっと認識するんだと思う。
 命を運ぶと書いて運命。自分という命を今立っている場所まで運んできたすべてのものが運命と思うと、(今いる場所が幸せであれば幸せであるほど)急に運命が愛おしくなる。真上が本当に自由になる瞬間ってのは、そんな時に訪れるんじゃないかなと思うのです。そして、それは奇械島後からそう遠くない未来な気がしてならないのです。

 ほぼ真上の話になっちゃいましたが、真上と真白さんの話でした。いつかシンとの話もできたらいいですね。

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