はりねずみには針がある。自意識という針。
S T I N G
また、女にフラれた。
俺は14で初めての彼女を作ってから、女を途絶えさせたことがない。正直に言うと相当モテる。自意識過剰だとかナルシストだとか散々に言われるが、残念ながら俺がモテるのも俺がナルシストなのも等しく疑いようのない事実だ。
しかし、流石の俺でも色々と問題はあって、いつも女とは長く続かない。愛した女の数とそれと同じ数の別れた数は、5つを超えてから数えなくなった。
最初の女とは2年。次は1年半。その次は1年。どういう訳か、俺が音楽にのめり込むのに反比例して、女が俺を愛せる時間は減っていった。
女との別れは、十中八九、向こうの言葉から始まる。
別れを切り出される理由は似たり寄ったり。「クロウは自分のことばっかり」、「私のことどうでもいいって思ってるんでしょ」、「私とバンドどっちが大事なの」……耳に痛い言葉の数々だが、つまり俺が彼女より自分を優先させる男だということが概ねの原因のようだ。
事実を列挙すると、休日はうちの社会人ドラマーが出られる貴重な日だからほぼバンド活動。デートだとか記念日だとかもバンドとかち合えばドタキャンは辞さない。歌を作ってる時は絶対に会わない。電話も出ないしメールも見ない。ふと会いたくなった時は押しかける。面倒なので都合は聞かない。ミュージシャン以外になるつもりはないので定職には就かない。その上、ねだられるよりねだる方が好きだ。勿論だが、結婚ましてや子供を作るなんて論外だ。優先順位は常に、バンド、俺の気分、友達、その次が彼女だ。
友人に好みのタイプを聞かれた際、「光にあてなくても水をやらなくてもいつも花が咲いていて、ついでに実も食える植物」と答えて鬼畜のように非難されたこともある。
別に彼女を愛していなかった訳じゃない。
ただ、彼女より自分の方が可愛いだけだ。
俺は誰よりも俺を優先する。俺のことが一番可愛い。誰よりも俺を愛してる。
* * *
かなり幼い、小学校にあがる前の話だ。俺には気になる女の子がいた。
その子がヒラヒラと漂う蝶をずっと眺めていたもんだから、欲しいのかと思った俺はその蝶をひょいと捕まえて差し出した。そうすると彼女はきゃあ!と怖がって、「生きてるのは触れないの」と訴えた。それならば、と俺はその場で蝶の羽をむしり取り、羽だけを彼女の手のひらにのせた。彼女は先ほどよりもはるかに大きな悲鳴をあげた。
状況がよく飲み込めない俺は、気がつけば保育士と母親に説教されており、なぜか「彼女をいじめた」ことにされていた。俺はただ俺がしたいと思ったことをしただけ。彼女は嫌がったけど俺は喜ぶと思ってやった。そういう時、俺は大抵そういった言い訳をする。言い訳というより、それが俺の本心であり動機のすべてだった。
それを大人に理解させると、最後にはかならずこの正論に達する。「相手のことも考えて」と。
「相手の立場に立って考える」とか「人の痛みを理解する」とかいうのが、生まれつき苦手だった。気色悪いとすら思えた。
相手の心情を慮ることなんか無意味だ。よく言うだろ、人は孤独な生き物だって。どうやっても他人を完全に理解することはできないって。それは乙女が想い人の心中を、好き勝手に妄想するのに似てる。そんな頭の中で作り上げた誰かさんより、まず現実的に向き合わなければならない自分自身という実在の人間がいる。
虚ろな「相手が俺になにをしてほしいか」ではなく、確かな「俺が相手になにをしたいか」。
世の中って、自分の欲しいものを明確に把握できてるやつが意外と少ないらしい。自分の純粋な望みというものは、周囲の目、かけられている期待、そうすべきだという勝手な思い込み、そんなもので容易く見えなくなるからだ。
相手の意を汲むなんて曖昧極まりない理由で、自分の望みを見失うのは危険だ。自分の中を自分だけの感情、思考、願望……そういうもので満たしてくっきりと見えてくる道。それが自分の望む生き方というものだ、と俺は思っている。
俺は俺の一番の味方だ。
よく「弱い自分に勝つ」とか「敵は自分の中にいる」とか、そんな自分を悪の手先みたいに言うやつがいるけど、冗談じゃない。
結局、人間が他人を理解できない生き物ならば、裏を返せばそれは自分を理解できる人間は自分しかいないということだ。自分の内なる声は決して他人には聞こえない。自分で自分の心に耳を当て、そっと聞いてやらねばならないんだ。
俺がしたいと思ったこと、いいなと思ったもの、それを一切の狂いなく理解できるのは俺だけだ。そして、それを実行し成し遂げられるのも俺だけだ。俺だけが俺の望みを俺の望むままに叶えられる。俺だけが俺の神様で、救世主で、俺が知覚できるすべてだった。
俺が、一番に俺のことを信頼して、一番に俺に期待して、一番に俺を可愛がって、一番に俺をすごいと思って、一番に俺を愛してる。
そうでなくて、なにが俺だ!そうでなくて、なぜ俺が俺を生きられる!
どこまでも「我が侭」でありたい。
かけがえのないたった一人のなによりも大切な自分。誰に厭われても、何を犠牲にしても、その自分の中にある有りのままのものすべてを守りたい。
自意識。自己愛。自己防衛。それが自分の特性なのだと、いつしか理解した。
* * *
思春期が深まるにつれ膨れ上がる自意識。
それは音楽に出会ってから一転、俺の武器になった。
他のやつがどうしているかは知らないが、俺は歌を作る時はとにかく一人きりになる。
他人を排除し、自分だけの空間を作っておく。他人の声より自分の声に耳を傾け、他人の気持ちを察する前に自分の気持ちと向き合い、ただ、ただひたすらに自分自身と見つめ合う。
鏡を使わなければ自分の姿は見えないように、自分で自分を見つめることは難しい。俺が歌を書くのはいつも苦悶の時間だ。狭くて深い頭ん中に自分を押し込み、薄暗い深層心理を探り続ける。
ほとんど食事を摂らず、時には嘔吐を繰り返し、のたうち狂う無様な男。自己愛とはほど遠い光景だが、深層心理の海で見かける言葉をやたらめたらに書き殴れば裸の自分が見えてくる。真っ白な自分と巡り会えた瞬間は、泥を吸ったように重い体がふぁっと翼になったようで、まさに自分が歌そのものになったような心地になる。
俺の歌は共感も同調も求めない。
「聴いてください」なんて言わない。「歌ってやるから来い」だ。
自意識から生まれた俺の歌は俺自身だ。それを奏でるメンバーも俺の歌の一部で、熱狂するオーディエンスもまた俺の一部で、俺の声が届く範囲はすべて俺の王国だった。
気持ちよかった。俺の歌が食っている!人を、人の心を、人の意識を!家畜を貪るように!
男に生まれてしまったのなら、なんだっていい、その快楽を頂点で味わいたいという欲望はもはや遺伝子の領分だ。そして、それを叶えるために、強かれ弱かれ、男には一つくらい武器が与えられる。世の中に挑戦するちっぽけで幼稚な自意識。それを外に吹き出させるため、自らの血で磨き作り上げる武器だ。
俺は歌だった。俺には歌しか武器がなかったし、反面、歌だけあれば十分だった。
俺はこの歌ですべてを支配したい。この歌で頂点を手に入れたい。
笑い話じゃない。
俺は本当に、ただ夢に生きていた。
* * *
はりねずみには針がある。自意識という針。
自意識の針が近づく者を刺す。刺したいやつも、刺したくないやつもみんな、みんな傷つけていく。
人恋しいという気紛れでいくらでも女を誘い、夢がすべてだといくらでも女を傷つけて、そして離れていく女の背中を見て「またか」とつぶやく。俺はそういうやつで、そういうやつだから強かった。
ただ。
仲間はなにがあってもそばにいた。俺が自覚しているところでも、自覚していないところでも、きっとかなり傷つけてきた。俺が我が侭なやつだから。俺は自分が一番だから。それでも、痛えよって言いながらも、離れなかったやつらだった。
血まみれの仲間を抱き締めたまま、俺は我が侭に夢を追いかけ、我が侭に歌い続けた。
それが永遠でないことについては、見て見ぬふりしていた。
……
…………
メジャーにあがるのを仲間に反対された。
ついに刺さった、と直感した。女で言うところの「クロウは私とバンドどっちが大事」って切り出された時のような感覚。
俺は絶対に退けない。音楽界でトップを目指すならメジャーデビューは避けては通れない道だ。少なくとも、俺が目指すシンガンクリムゾンズの姿はそれだった。
俺は、俺達の音楽で頂点に立ちたい。それが俺の夢で、今まさに俺ががむしゃらに生きているすべてだった。
一人でも抜けてしまえば、俺の夢は生涯決して叶わない。俺の夢を叶えるためには、少なくとも三人を道連れにしなければならない。最高の仲間に、俺と同じ夢を見ることを強いて、俺と同じ道を歩むことを強いて、俺と同じだけの覚悟を強いなければならない。
我が侭を信条に生きて二十年。最も深く付き合ってくれた男達へ強いなければならない、最も理不尽な俺の、ワガママだった。
くそ。
俺は、いつから。
いつから、一人では叶えられない夢を見るようになってしまったんだ!
* * *
(俺、どうするんだ)
ねずみは弱い生き物だから、針という武器が要る。
自意識という針は、いつまでも子供のままの俺を守ってくれたし、俺に歌という武器を持たせ、俺を心のままに何かを叫べる強い男にしてくれた。
代償として、人恋しくて擦り寄っても、誰かに愛されて抱き締められても、傷つけるばかりで。それでもなおきつく抱き締めても、分厚い自意識の針越しで、俺は決して他人と触れ合えなかった。
(仲間を捨てるのか、それとも…)
針を折る。
はりねずみが抱き合いたいのなら。
確信があった。この生き方を変えれば、この針を折ってしまえば、俺はもう歌えなくなる。この針は俺の自意識で、俺の歌で、俺の気位で、俺の中を通るたった一本の芯だった。
これが折れてしまえば、俺はもうおしまいなんだ。世間にがなり声をあげることもできない、弱く幼い、ただのねずみになるのだ。
仲間を捨てれば、夢が潰える。しかし、自分を捨てれば、夢を見ることすらできなくなる。
人を求めた時点で、はりねずみのジレンマは袋小路だ。
(歌いたい)
それでも。
愛する人が欲しい。
針を捨ててまで触れたいと思える人が欲しい。
おまえのためなら弱い男でいい、歌えなくったっていい、そう思えるほど心から誰かを愛してみたい。
俺が今まで積み上げてきたものすべてを壊して、この喉と針を掻き切って、これが俺の歌う最後のメロディだと聴かせてやりたい。
ただ自意識に殉じたいというのも本心なら、自意識から解放されたいのも本心だ。
俺をこの針から解き放ってくれる人が、この世にいるというのなら。
衝動。
愛を欲する衝動が駆け巡る。
(俺はあいつらと歌いたいのに!)
* * *
昨日の晩、歌を書いた。
どうやっても涙を止められなくて、ぐしゃぐしゃになりながら書き上げた。
闇に苦しむ男にまばゆい光が差し、瞬く間に世界が変わる歌。俺を救い出す光の天使が現れる歌。俺が、愛を欲しがる歌。
この歌が、俺の最後の歌になるかもしれない。
ライブハウスへの道すがら、ペットショップのケージの中で二匹のハムスターが睦まじくじゃれている。
ああ、くそ。俺ははりねずみなんだ。
終
3曲3話から導き出した私のクロウさん像。
徹頭徹尾「愛する側じゃなくて愛される側」の人で、愛されるけど愛せないトゲトゲのロンリーハート。愛してみたいと言っても、そもそも自分が最愛として完成してしまっているので、いつまでたっても無い物ねだり。
結局シンガンクリムゾンズはクロウの望むとおりメジャーデビューし、クロウの不安は先延ばしになったとさ。でも、結局どんな手を使ってでもメンバーを留まらせたと思う。